「明日死ぬなら今日後悔しないことをやれ」そんな言葉を最近耳にした。
明日死ぬとしたら会社には行かない。そう思ったら「俺何してるんだ?」に変わってからの「またバイク乗ってみるか・・・」に突然変異した。
私の心は【バイクに乗る】選択肢を選びたがっているようだ。
人生一度きりだからこそ乗らない選択もある
バイクの怖さは【死ぬこと】と【死ねないこと】の2つだ。
【死ぬこと】は事故でそのままお迎えが来ることだが、【死ねないこと】は後遺症で身動きが取れなくなったり手足を失うことである。
一度きりの人生だからこそバイクに乗る選択もあるが、乗らない選択もある。
どちらを選ぶにしても【やった後悔】と【やらなかった後悔】のせめぎ合いだ。
選ぶ基準は「何を得るか」だ。乗っても乗らなくても後悔するならそれがランドマークになる。
人生には取捨選択が付き纏う。何かを手に入れれば何かを失うのは古今東西共通だろう。
「バイクに乗るという事は・・・」
深過ぎて今はまだ決められそうもない。
明日死ぬなら今日何をして過ごす?
・家族や愛する人と過ごす
・好きなモノを好きなだけ食べる
・好きな場所へ出掛ける
バイク乗りなら「バイクで走る」と言うところだ。明日死ぬなら今日死んでも後悔しないし、死にきれなくても1日くらきなら我慢出来そうだからだ。
ビビリミッター発動中
なんのことはない。事故が怖いのだ。事故によって自分と家族の人生が壊れることが怖いのだ。
バイクに乗らなければ不幸が訪れない訳ではない。そんな保証は誰にも出来ない。
明日には自動車事故で死ぬかも知れないし、死に切れないかも知れない。にも関わらず、バイクに乗る怖さは一体何だと云うのだ。
ビビリミッターの解除法
明日病気で【死ぬ】、【死に切れない】状況にならないとなぜ思えるのか?今日健康でも明日体調崩して病気が発覚することはよくある話だ。
確率の問題なのか?バイクの事故率と車の事故率を比較して危ないと判断するなら、初めて乗った飛行機で墜落事故に見舞われた人は「運が悪かった」では説明がつかない。
結局のところ、自分の経験が「バイクは危ない」と判断しているだけだ。一般論でも確率でもなく自分の脳が「バイクは危ないよ〜」と言っているのだ。
これを本能と捉えるのかトラウマと云うのかは知らないが、バイクに乗ることをビビっているだけである。
「ビビリミッターを解除出来るのは自分しかいないのだ」
・バイクが好きor興味がある
・バイクに乗っているorこれから乗る予定
・リターンライダーorリターンライダー検討中
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