「俺、一生バイクに乗るわ!」
若い頃そんな台詞を言った記憶がある。
気がつけば乗ったり降りたりの【にわかバイク乗り】になっていた自分にガッカリだ。周りを見渡してもあの頃の仲間は「良き父親」になっている。
「一生バイクに乗り続ける」
それが簡単でない事を9割以上の降りたバイク乗りは知っている。
降りた理由は後付け
「お金がない」「子供が出来た」「バイクは危ない」理由は色々あるだろうが【バイクが面白くなくなった】が本音だろう。
乗り始めた頃の「煌めき」が薄れ、バイクを道具と見始めたらお終いだ。バイクに乗り続けるには【心の若さ】が必要だからだ。
若さ故の幻想
若さとは年齢だけを指すのではない。初めてバイクに乗ったのが40代なら40歳でも若いのだ。乗り始めのワクワクやドキドキを感じる感性が若さなのだ。
乗り始めの頃が1番楽しい。空も太陽の色もクルマとは明らかに違うからだ。
体一杯に浴びる風は季節の匂いを連れて来て、その瞬間を感じ取れた人間だけが「俺、バイク一生乗るわ」と宣言するのかも知れない。年齢ではなく心の若さがそう言わせるのだろう。
何年か後に「そんな台詞を言ってたな」と懐かしむにも拘らずだ。
まったく若さとは思い込みなのだろう。
苔生すバイク乗り
若さ故でも「煌く世界」を見た人間は知っている。バイクで心が解放された人間にしか分からない。「煌めき」を感じることが出来る人間はごく一部だろう。
歳を重ねる毎にその感覚は薄れてくる。バイクを降りると尚更だ。読み手を失った本に、埃が薄っすら被るように心に降り積もるのだ。
いくら振り払っても心が動かなければ感性も鈍くなる。バイクを降りることはそういうことなのだ。
バイクに乗れば振り払えるのだろうか。
「煌めきよ」もう一度
リターンライダーが思い返したように「バイク魂」が再燃するのはそう云う訳だ。
心に降り積もった埃を振り払いたいのだ。若さを取り戻したいのだ。
もう一度バイクに乗ったら「煌めき」を取り戻せると思っている。
果たしてあの頃の感覚は取り戻せるのだろうか。煌めきを取り戻したいと願うのはリターンライダーの特徴だ。
リターンライダーは不名誉な呼び名だ。1度は「向こう側」に渡ったくせにまた「こっち側」に憧れつつ渡ってこない。どっち付かずなバイク乗りを指すからだ。
「あの頃の煌めきよもう一度」
そう思うなら再び乗る決意も大事だが、今度こそ降りない決意もするべきだ。
「俺は生涯バイク乗り」と言いたい
バイクを降りた「こちら側」から、乗り続けている「向こう側」を見ると羨ましく感じる。
バイク乗りだった頃、乗り続ける「こちら側」から、降りた「向こう側」を見ても羨ましいとは思わなかった。
今、自分はバイク乗りから見た「向こう側」に立っている。
「俺、一生バイク乗るわ!」と言って27回目の夏が来る。
あと何回の夏を迎えられるか分からないが、人生最後の日には
「俺、生涯バイク乗りだったわ!」
と言えるようになりたい。
・バイクが好きor興味がある
・バイクに乗っているorこれから乗る予定
・リターンライダーorリターンライダー検討中
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